パッフェルベルエピソード「夢の翼」

 01

 学術都市パッフェルベルの路地をひとりの女の子が歩いていました。
 背丈は人間の大人の腰ほどですが、彼女はホビットではありません。ひよこのようなくせっ毛の髪からまだ尖りきっていない耳が飛び出ています。尖り耳はエルフの証。彼女はとても幼いエルフなのです。
 名前はペルセフォネ。自立心旺盛な彼女はわずか5歳で故郷の小さな森を飛び出し、この学術都市へ立派な錬金術師となる為にやってきました。
 そんな彼女はいま、久しぶりに古書店へ本を買いに行くところです。
 工房を持つ為に貯金をしているペルセフォネは最近衝動買いを控えていました。今日は蒸留酒製造業者の広告用品を作る仕事が終わり、ちょっとした余裕が出来たところです。
 趣味と実益を兼ね沢山の本を買い漁っているペルセフォネには、いくつかの馴染みの古書店があります。今日はまとまったお金があるので寮から最寄りのお店にいくことにしました。たくさん買うと持ち帰るときが大変だからです。
 服の中には蟇口が首から提げられていて、中には沢山の銀貨が入っています。8キログラムのオレンジ箱10箱分と交換できるくらいの銀貨です。それは蒸留酒製造業者から貰った報酬でした。学術都市と言われるこの街でも本は高価なものなので、それくらいないと沢山は買えません。
 古書店へ向かい歩くペルセフォネを、小さな影が通り過ぎました。空を見上げると、四角く切り取られた空の中を1羽の鳥が飛んでいました。
「あれは……」
 よく見ればそれは鳥ではなく、翼族の女の子のようです。両手に籠を持ち、眩しい太陽の横を悠然と飛んでいます。
「……イヴさんかな?」
 翼族の女の子はとても高いところを飛んでいたのですが、ペルセフォネはその女の子をよくお世話になっている錬金術師のお姉さんだと思いました。
 手を振って呼んでみようとかと思いましたが、声が届く距離でもないしどうせ小さな自分は見つからないだろうと思い直しました。
 立ち止まったペルセフォネは、女の子が建物に隠れて見えなくなるまでずっと見ていました。

 02

 寮に一番近い古書店はいつも60歳を過ぎたくらいの人間のお爺さんが店の番をしていました。でも今日はお爺さんの姿が見あたりません。
「おじいさん、こんにちはー……?」
「ペルちゃんいらっしゃい。ごめんね、今日はおじいちゃんじゃないの」
 店の敷居をまたいだペルセフォネを若い女性が笑顔で迎えます。ペルセフォネはお爺さんが彼女のことを「妹のようなものじゃ」と言っていたのを思い出しました。彼女もエルフで、お爺さんと幼なじみなのです。
「こんにちは、お姉さん。おじいさんはおやすみですか?」
「ちょっと遠くまでお出かけ中よ。ほら、この前レンダ大橋が開通したでしょ? 闇市で良い本を漁ってくるんですって。帰ってくるまでは私が替わりに店番してるの」
「ワーグナーに行っちゃったんですかっ?」
「もう歳なんだし、替わりに行こうか? って、言ったんだけどねー。そこは人任せには出来ないって言って、余計に張り切って行っちゃった。あ、ペルちゃんにお土産買ってくるって言ってたわよー」  ペルセフォネは先日ワーグナーに行ったときのことを思い出しました。闇市は物がたくさんあって楽しいところでしたが、湿地帯では巨大な蛭に襲われたのです。幸い、若草色の髪をしたエルフのお姉さんに助けられ事なきを得ましたが、ペルセフォネにとって思い出したくない悪夢でした。
「大丈夫よ。湿地にまで行くワケじゃないし、一応ちゃんと頼れる護衛もいるから」
「そうなんですか……」
「それで、今日はどんな本を探しているの?」
「あ、ええと、特に決めてなかったんですけど……」



 ペルセフォネの住んでいる学生寮の角部屋は本と素材とで溢れかえっています。
 部屋に戻ったペルセフォネは抱えていた本を床に並べました。大きなうさぎクッションに座り、買ってきた本を確認します。全部で15冊もありました。  学院の古い錬金術の教科書が5冊。「テュールルーン応用編」「力ある名の書・クラシク東部編」。学院図書館にある「乙種金属練成術」の写本。これは一応図書館で内容の一致を確認したほうがいいかもしれません。「うさぎの出てくる童話絵本集」。「簡単家庭菜園」。「錬金術師必読・素材管理術」。「怪盗名探偵VS秘密結社ハイエナ」。タイトル買いです。「寓意暗号解読指南書・下巻」。上巻はありませんでした。
 錬金術師の学生ノート、なんて掘り出し物も見つかりました。流石に名前は削ってありますが、自分のノートを売り出すほどお金に困ってたのでしょうか。内容は古いですがとてもしっかりしていて、確かに商品価値はありそうです。
 そして最後の1冊は「夢の翼」。人の飛行に関する記述を集めた古い本でした。  ペルセフォネは最後の一冊をロフトベッドの上に置くと、残りの14冊をベッド下の本棚の横に平積みしました。本棚にはもう満杯で入らないのです。

 03

 翌々日。カノン大草原の見晴らしの良い丘でペルセフォネは何かを組み立てていました。
「えーとー……こっちが……こうで……」
 独り言をつぶやくペルセフォネの傍らにはびっしりと付箋が貼り付けられた「夢の翼」が置いてあります。そこには大きな鳥の翼のような設計図が描かれていました。  ペルセフォネは木製の骨組みに風の魔力を浸透させた葉を一本ずつ、丁寧に織り込んでいきます。本来は羽を用いるところを、調達が難しかったためフォニーの森で羽に似た形の葉を採取してきたのです。そのせいで、翼というよりはとかげの鱗に近い印象を受けます。
 影蜘蛛の糸を使って編み上げた骨組みはそれなりの強度になっていますが、開きっぱなしのページのには「素材値を7としても強度的に不安。重量制限は20キロが限度?」と描かれていました。
「……よしっ」
 作業が終わりました。エプロンと上着を脱ぎ、靴まで脱いでわずかながらも身軽になったペルセフォネは組み上げた翼を背負います。翼の中程にある留め具に腕を通し、グリップを握りました。
 ばさばさ。ばさばさ。
 ペルセフォネは両腕を力一杯上下させました。
 しかし人の、しかも非力なエルフの、ましてや5歳児の腕力で宙に浮けるはずもありません。
 模造翼が起こした風が本のページをめくりました。そこには「魔力で風を増幅すれば飛べるかも?」と描かれています。
 ペルセフォネは一生懸命腕を振りながら意識を集中しました。葉一枚一枚に宿された風の魔力が活性化します。すると、はばたきを助けるように風が空気の流れを生み、よろけていた姿勢も安定しました。
 ペルセフォネはさっそく坂を駆け下り始めます。大きな羽を背負い腕を上下に振りながら走るのは大変な事でしたが、魔力の風のおかげで転ぶほどにはよろけることもなく走ることが出来ました。

 04

 夕暮れ時。  お爺さんが店を閉めようとしていると、古書店の前をペルセフォネが歩いていました。エプロンはきれいでしたがキュロットは草の汁で汚れていて、髪の毛には払い落としきれなかったのか細い草が絡まっています。手足にも擦り剥いたあとがたくさんありました。
「どうしたんじゃ、ペルちゃん。傷だらけじゃないか」
「空を飛ぼうと思ったんですけど、うまくいきませんでした」
 ペルセフォネは荷物から本を取り出し、お爺さんに見せました。
 お爺さんは本を見て「そりゃあ残念じゃったのう」と言い、ペルセフォネの頭を撫でてやりました。
「あっ、でも、少しだけ浮いたんです。ちょっと嬉しかったですよ」
 お爺さんはペルセフォネを店の奥で傷の手当てをしてやり、ワーグナーのお土産として「蛭の生態」という本を渡しました。

 05

*今回の調合(架空)*
<夢の翼>道具(3)/7/10/3/無/移動道具。もし翼で空を飛べたなら、という古人の夢を再現した試作飛翔具壱号。初実験であえなく大破。
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